下級生2 三回目

 未だに柴門たまきシナリオ進行中。つーかほとんど進んでおりません。週末のラブホテル近辺で見かけるようになった程度です。それよりも七瀬ですよ、七瀬。態度変わりすぎ。ツンツンしている裏に透けて見えるデレを期待していたのに……。うずらの卵を返せよぅ。

Let’s Dance

 気分次第では心のベストテン第一位にもなったりする加奈のXbox版が無期延期した挙げ句に発売予定ハードがXbox?と微妙に変更されて発売発表直後に思わずXbox本体を買ってしまった僕はこれだけでも言葉が出ないのに「加奈…おかえり!!」なるものが高屋敷開発とかいう山田一の名前で釣る気満々なブランドから出る事実を前にして更に固まったりしてあうーとかえーとかひとしきりモニタの前で唸ってかろうじて高屋敷は家族計画だし無理にパンチラさせるの良くないみたいな意味のない言葉を呟くのが僕にできる精一杯なんだけどこんなことでこの素晴らしき資本主義の世界に生きる僕たちの現実なんてちっとも変わらない上に今月末には遂に水夏のリメイクも出てしまうことを思い出した僕はひょっとしてエロゲオタとして生きるのは言葉を失い続けるだけの人生と同義なのかと恐れながら見たオフィシャルサイトに呉さんの名前を見つけて少しだけ希望の光が見えたのもつかの間のことで明らかに名無しとさやか先輩の顔違ってるだろとまたしてもネガティブな思考に陥ってしまいそうな僕が君に言いたいのはたった一言なんだよ。

 さあ踊ろう。

かえりみち Don't Panic / Coldplay

 夢を見ていた。ススキ野原の遠く向こう、淡雲に霞む満月へ続く道。鈴虫の音色はかすかに響き、草を踏む僕の靴はほんの少し夜露に濡れて。夢を見ていた。どこにも行けないはずの僕が、白い狐のお面の少女の背中を追って、ススキ野原を歩く夢。ざわざわと風が吹き、彼方まで続くススキは音もなく揺れる。月も一緒に揺れている。少女がふわりと振り返る。いつの間にか少女はお面を外していて。きみはだれ?
 夢を見ていたはずだった。偶然座れた帰りの地下鉄はいつも通り満員で、気がつけば僕が降りるいつもの駅。たった一曲二分間の夢のあと。長い階段を昇った先で、台風の温かい風が僕をびゅうびゅう揺らしていく。

下級生2 二回目

 柴門たまきシナリオ進行中。やっと夏休みのお持ち帰りイベントまでこぎ着けました。
 たまきは思ったよりもさばけた印象なので拍子抜けというか何というか。別に冒頭からスキスキオーラを出しまくっているわけでもないし、最初の選択会話シーンで彼氏がいることがちゃんと明らかになるので、別にあのイベントで不意打ちという訳でもないし。幼なじみであっても彼女には彼女の時間があり、独自の人間関係だって当然ある。気安く話せる異性であっても、それが恋愛感情に直結するわけでもない。私を含む多くのエロゲオタがイメージするであろうヒロイン系幼なじみ像からは外れていても、このキャラクター造形そのものに無理はありません。でも、それが柴門たまきという女の子のシナリオを生きた物語にしているのかといえば、これもまた疑問が。
 恐らくシナリオライター氏が描きたかったのは、非日常の象徴である医大生と日常の象徴である主人公の間で揺れるたまきの姿と、身近な存在に置いて行かれたように感じた主人公の焦燥だと思うのです。でも、その辺の描き方には全然血が通っていないので、非処女みたいにわかりやすい部分だけが印象に残り、格好のネタにされちゃってるんじゃないかなー、と。だいたい赤いスポーツカーに乗った医大生という時点でセンスゼロじゃないですか。
 これだけ高いレベルでフラグ管理を実現していても、キャラクターの出現場所がランダムなマップ徘徊型システムで最初から親しい関係にある男女の心の機微を描くのはかなり困難なのではという印象を強く持っています。とにかくこれからがヤマ場なので、この印象が覆ることを心から期待したいところ。つーか長すぎ。

The Show must go on

 CPG関係者の皆様、お疲れ様でした。
 前身作っていたJMが潰れたあの年はメストもなくなったりといろいろあった年だったなあなんて、元某誌編集としてはなんだか当時を思い返してみたりして。

1955年のダンス Afrodisia / Kenny Dorham

 1955年のニューヨークで、1987年のロンドンで、1996年の東京で僕らは常に踊り続けた。ああ、あの曲かと懐かしく思い出した君は、もしかしたらあの狭い地下のクラブで僕とすれ違っていたかもしれないねピース。批評家のように本に書くのではなく、ジャズ喫茶の常連たちのように座り込んで耳をすますのではなく、感じたまま肉体言語に変えてみよう。Afro-Cuban。アシッドの聖なる源流。BlueNote No.1535の奇跡。